那覇でのヨガ研修の後、辺野古のテント村へ2日間応援に。
美ら海水族館とは反対側の大浦湾。その白い砂浜とコバルトブルーの海の美しさに息をのみます。絶滅危惧種・ジュゴンの餌の海草(うみくさ)が広がり、世界一の規模を誇るアオサンゴ大群落、干潟、マングローブ林などの生態系が重層に支えあういのちの多様性の宝庫です。
ここで、県民が10万票の差をつけて示した意志に反して、米軍基地建設の強行が安倍政権によって進行しています。(2014年8月の沖縄訪問のブログ参照)
美ら海水族館とは反対側の大浦湾。その白い砂浜とコバルトブルーの海の美しさに息をのみます。絶滅危惧種・ジュゴンの餌の海草(うみくさ)が広がり、世界一の規模を誇るアオサンゴ大群落、干潟、マングローブ林などの生態系が重層に支えあういのちの多様性の宝庫です。
ここで、県民が10万票の差をつけて示した意志に反して、米軍基地建設の強行が安倍政権によって進行しています。(2014年8月の沖縄訪問のブログ参照)
大浦湾にはすでに辺野古埋め立ての巨大なコンクリートブロックが次々と打ちこまれており、沖縄県は潜水調査でサンゴが破壊されていることを確認しました。県がその調査を始めたことに、国は、管官房長官「現況調査を開始したことは極めて遺憾」、中谷防衛大臣「甚だ遺憾」と、県を批判しました。
3月5日の今日も、コンクリートブロックの打ちこみは平然と続き、抗議をした市民のカヌー5艇が海上保安庁に拘束されました。
非暴力の抗議の運動に対する米軍、日本政府の対応は今、日に日に強圧的になっていて、辺野古は緊急事態と言えます。そんな中でも沖縄の人々の運動は、三線演奏と歌と踊りと語りがベースです。
下の写真の後方、米軍基地シュワブのフェンスの青色シート前に並ぶのは15人の三線奏者たち
平和を唄って、いのちを踊る。
一週間前、ゲート前の黄色の線を越えたということで米軍に拘束された山城博治さんが、建設準備の作業が進む現場の前で、抗議のスピーチ。 http://henoko.ti-da.net/
米国軍事基地拡大の建設を拒否すると沖縄県民が選挙で示した民意に反して工事が進行することに非暴力で抗議の意志を示しただけで、米軍、それも米軍が雇う日本人警備員に引きずられて身柄拘束されるという、見事な植民地支配下の沖縄。
辺野古ではいくつもの素晴らしい出会いがありました。
30年前の沖縄平和行進で辺戸岬から摩文仁まで歩いた時ご一緒した日蓮宗僧侶の黒柳上人が真っ黒に日焼けてもう一年以上もテント村でお太鼓を響かせていました。マングローブ林の干潟を、やんばるの夜の海辺を闊歩する女神・尚美さんも一緒に歩きました。
上の写真は、島袋文子さん(辺野古在住85歳)と基地ゲート前のテント村で、ツーショット!!
「地獄のような沖縄戦」の生き証人です。4人の兄たちが防衛隊にとられてしまい15歳の文子さんは目の見えない母と10歳の弟を連れて、内臓の飛び出す死体をまたぎ乗り越え、死体が浮かぶ水たまりの水を飲み、戦火を逃げ惑いました。
ひまわりのように大きな明るい笑い顔で「基地がなくなるまでは死なないよ」と眼を強く光らせて言われました。
この写真は平良啓子さん。80歳とは思えない凛とした美しさのおばさま。
ヘリパット建設反対運動の拠点、高江の基地ゲート前の路上で会ったばかりなのに、私の手をとりながらご自分の話をしてくださる。
「わたしは筏につかまって6日間漂流した。筏につかまった10人も一人また一人と力尽き流されていった。目を開けたまま筏の上に横たわるおばあさんが流されそうになるのを 私はしっかりと腕をつかんで、筏に引き上げては、流され、また引き上げて、をくり返した。目を開けているから生きているにちがいないと思っていた。自分が手を放したら、このおばあさんは流されてしまうと必死だった。
1944年に撃沈された疎開船『対馬丸』の生存者。9歳だった。
大人約800人、子ども約800人の乗船客のほとんどが水死。「わたしは筏につかまって6日間漂流した。筏につかまった10人も一人また一人と力尽き流されていった。目を開けたまま筏の上に横たわるおばあさんが流されそうになるのを 私はしっかりと腕をつかんで、筏に引き上げては、流され、また引き上げて、をくり返した。目を開けているから生きているにちがいないと思っていた。自分が手を放したら、このおばあさんは流されてしまうと必死だった。
『もう亡くなっているから手を放しなさい』と周りのおとなに言われたが、怖くて手が放せなかった。おばあさんが流されていった光景が、今も、眼に焼き付いている。
最終的に大人3人と子ども4人だけが無人島に流れ着いて生き延びた。
最終的に大人3人と子ども4人だけが無人島に流れ着いて生き延びた。
沖縄に戻ったら、こんどは、一緒に対馬丸に乗り、亡くなった従妹の親から、『啓子が対馬丸に乗ると言わなければ、あの子は乗らなかった。どうして、啓子だけ、生き残っているのだ』と、自分の親が責められた。
この二つの出来事で、自分は加害者であると思って生きてきた。
この二つの出来事で、自分は加害者であると思って生きてきた。
無人島から生還したと思ったら、沖縄では地獄の地上戦が始まった。戦火を逃げ回って生き延びた。」
「日本のほとんどの都市が空襲で危険だったのに、なぜ国は沖縄から宮崎に疎開させようとしたのでしょうか?」と素朴な質問をわたしがすると、平良さんはこう言われた。
「沖縄を日本本土を守る捨石作戦に使うために、兵隊をたくさん沖縄に派遣するにあたって、口減らしのために多くの沖縄人が疎開船に乗せられて行ったんだよね。当時の自分は子どもだったから、そんなことも知らず、内地に行ったら雪がみられるとか、そんな気持ちで船に乗ったけどね。」
「沖縄を日本本土を守る捨石作戦に使うために、兵隊をたくさん沖縄に派遣するにあたって、口減らしのために多くの沖縄人が疎開船に乗せられて行ったんだよね。当時の自分は子どもだったから、そんなことも知らず、内地に行ったら雪がみられるとか、そんな気持ちで船に乗ったけどね。」
平良啓子さんの本「海鳴りのレクイエム~撃沈された疎開船『対馬丸』の奇跡の生存~」
絶版でまだ読んでいません。
絶版でまだ読んでいません。
生存者で生き証人で、語り部で、反戦、非戦のいのちの守護神。平和とは自ら行動選択をして意志を示していくこと、と生きる姿を通して示しておられるあまりに貴重なお二人。
お会いできて光栄です。
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多様性(ダイバーシティ)人権啓発トレーナー養成講座
日米で過去20年間、2000人以上が受講されている伝説の研修です。今年はこれ一回限りです。
テキストは、ダイバーシティ・トレーナーの世界レベルの先駆者である森田ゆりが、25年前カリフォルニア大学主任研究員時代に開発した英文テキストの日本語版です。日本、米国のダイバーシティ研究の参考書として広く使われてきました。大学院の入試問題にも引用されています。
日時:2015年3月14~15日(土日) 10am~17時pm
場所:大阪市市民交流センターひがしよどがわ (新大阪駅から2分)
講師:森田ゆり
女共生の活動をされている方、ダイバーシティの理論と実際を学びた
い方。参加型学習の理論と実践技術と具体的アクティビティ、ファシ
リテーターのスキルとコツを学びたい人。優れた講師のノウハウ。
内容:ダイバーシティ・トライアングル/参加型研修の4要素/トレーナー
の7つ道具/アイスブレーカーの活用法/ダイバーシティとは何かを
視覚で理解する/コミュニケーションとノイズ/多様性社会に求めら
れるリーダーシップ/いくつもの多様性アクティビティを体験する/
トレーナーのスキルとこつの練習
ダイバーシティ・トレーナーの世界レベルでの先駆者である森田ゆ
りが、25年前カリフォルニア大学主任研究員時代に開発した英文テキ
ストの日本語版です。日本、米国のダイバーシティ研究者の間で参考
図書として20年間広く使われてきました。大学院の入試問題にも引用
されています。
定員:50人
参加費:20,000円(消費税込)
テキスト:「多様性トレーニング・ガイド:人権啓発参加型学習の理論と実
践」(解放出版)+「エンパワメントと人権」(解放出版) 践」(解放出版)+「エンパワメントと人権」(解放出版)
参加者のコメント例
一生ものの学びでした。
どんなテーマであれ講師として人前で話す立場の人には必須の研修です。
自分をこんなに見つめる研修はいまだ経験したことがなかった。
職場で明日からすぐに使えるスキルと理論が満載。
自分の人生を変える礎とします。
全国から集まる受講者の仕事や立場の多様性に感心しました。
研修で素晴らしい人たちに出会いました。
申し込み : fax 06-6320-1944 Eメール empowerment_9@yahoo.co.jp
森田ゆり 公式ホームページ
http://www.9.zaq.jp/empowerment_center/
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